昭和26年に建てられた庶民の住宅を保存・開放して、当時の一般庶民の暮らしを伝える施設が、東京・大田区にある「昭和のくらし博物館」です。
この建物は、生活史研究家でもある館長の小泉和子さんが、両親と妹4人の家族と共に終戦後まもなくから45年にわたって暮らした自宅で、平成2年には主屋部分を国の登録有形文化財として指定されているもの。といっても当時は決して特別な家屋ではなく、戦後の復興推進のために政府が行った住宅政策の融資を受けた“公庫住宅”と呼ばれるもので、小泉さん曰く「いたって粗末なつくり」とのこと。
この施設の特徴は、建物だけでなく実際に使われていた家財道具一式がそのまま残されている点。タンスや戸棚、冷蔵庫などの個々の家具に刻まれた小さな傷や実用的な配置などから、ただの再現にはない生活感が溢れています。
こうした暮らしを実体験としては知らない世代でも、『サザエさん』などの作品を通じて見知っている人も多く、どこか懐かしく感じられるそうです。
お子様の自由研究の題材にもオススメで、家族三世代で訪れても楽しめる施設になっています。
受付を済ませ、引き戸の扉を開くと最初に現れるのが「玄関」です。右に下駄箱、正面にはお茶の間へと続く廊下と2階へ上がる階段が見える光景は、完全に民家のもの。もちろん、館内に入る際には、こちらで靴を脱いで上がっていただくのでご注意を。
庶民的な家屋の中で1か所だけ異彩を放つのが、玄関脇のモダンな洋間の存在。陽当たりのよい南の窓に面して机とイスが置かれた「書斎」は、建築技師だった小泉館長のお父様の仕事場所。自ら設計したからこそ作れた、ちょっとした贅沢な空間。家具もお父様が設計した物なのだとか。
博物館の入口というより、「玄関」という言葉がぴったり。靴箱には草履や下駄がしまわれいて、立てかけられた傘にも生活感が。
玄関の左にあるのが、当時は珍しい洋室の「書斎」。建築技師である小泉さんの父が、自らの仕事部屋として作ったのだそう。
玄関から奥に進むとある「お茶の間」は、家族みんなで過ごす団らんの場。食品サンプルで再現された、朝・昼・夜の食事の支度が整ったちゃぶ台に、真空管ラジオからはアナウンサーの声や流行歌が流れ、いまにもお腹を空かせた子供たちのにぎやかな声が聞こえてきそう。
ふすまの向こうには台所のスペースがあり、調理道具がところ狭しと並べられています。家電などが普及する前の家なので、かまどに火をおこして調理をして、冷蔵庫は大きな氷を入れて冷やす電気を使わないものが置かれています。
まだテレビの普及していない時代、家電の主役は真空管ラジオ。いまでも電波を受信して、現在の番組を放送していました!
狭いスペースを有効に使うため、調理道具が整然と並べられた台所。ガスコンロもないので、かまどで煮炊きをしています。
お茶の間の奥にある「お座敷」は、お客様の応接や客間として使われた部屋で、庭に面した一番奥にあります。こちらでは、一家の着物や裁縫道具が展示されており、昭和の衣料事情を知ることができます。
戦後の一般家庭ではまだ和装も多かったので、お出かけ用の絹の着物や、普段着を繕うための和裁道具が並べられています。和裁道具の中には、コテや裁刀(たちかたな)など、一見すると裁縫道具とは思えないようなものまで! 縁側に面するように置かれた、足踏み式のミシンにもぜひご注目を。
ずらりと並べられているのは和裁道具。まだまだ和服が現役だった時代、裁縫は料理と並んで母親の大事な仕事でした。
足元のペダルを踏むことで駆動する足踏みミシン。輸入当初は高級品でしたが、昭和になると一般家庭にも普及しました。
階段を上がって左にある部屋が「子供部屋」です。南と西に面した玄関側と庭側に窓があり、訪れる友人を待つ姿が目に浮かぶようです。
子供部屋で目を引くのはやはりおもちゃの数々。取材時には、マンガ家の高野文子さんによる「山口さんちの子ども部屋」を開催中。昭和30年代に少女期を過ごした山口姉妹が、そのころ遊んだおもちゃの数々が展示されています。セルロイド人形や和製ビスクドールのような市販品から、紙に絵を描いて作った自作の着せ替え人形や、母親が作ったであろう着せ替え人形の洋服などなど。当時の子供たちがどんな遊びをしていたのか、こうしたおもちゃからうかがい知れます。
布製や陶器製、セルロイド製に市松人形と、人形も色々。なかには、母から子へ二代にわたって受け継がれた物も。
勉強机の引き出しには、夏休みの旅行先で収集した海藻の標本が。こちらは山口いずみさんが中学1年のときに制作したもの。
お茶の間や座敷から廊下でつながる「談話室」は、昭和41年に平屋を増築した後、平成4年に2階建てに改築したお部屋。普段は来館者の休憩場所として開放されていますが、ワークショップやトークイベントの会場や、貸しギャラリーとしても利用することが可能です。
縁側に座って庭の緑をながめたり、昭和の暮らしに関する本を読んでいると、まるでタイムスリップしたような気分が味わえますよ。
2階の子供部屋の隣は、当時は下宿人用の部屋になっていましたが、現在は「企画展示室」として期間限定の展示を行っています。
取材時は「スフとすいとんの昭和」展が開催されていました。戦時中は庶民の手に渡る物資が限られていたため、様々な代用品が使われていました。綿の代わりに「スフ(代用繊維・現代のレーヨン)」が使われた衣類、米の代わりに小麦粉を団子にした「すいとん」を使った食事など、様々な“代用品”にスポットを当てた企画です。
戦争によって日常がいかに壊されるか、そんな社会を生き抜いた人たちの強さを考える内容です。
布の代用品として使われたのがスフでしたが、耐久性などの問題も多かったそうです。ケース内の学生服もスフを使ったもの。
戦争で食べ物にも事欠くようになると、身近にある野草も貴重な食糧に。これらも食料の代用品、と言えるでしょう。
子供たちにとっては大事な遊び場であり、移りゆく季節を感じられる場所でもある「庭」。ここでは昭和の子供たちが夢中になった竹ぽっくりやホッピングなどのおもちゃで遊んだり、縁台に腰かけておしゃべりに花を咲かせられます。
また庭のすみには井戸があり、実際に水を汲むこともできます。バケツやたらいに水を貯めて、ブリキの金魚を浮かべればいかにも涼しげな光景に。
洗濯機もない時代、こうして汲んだ井戸の水と洗濯板を使って洗濯していたことを考えると、昭和の女性がいかに家事に追われていたかわかります。
竹ぽっくりは竹と紐があれば作れる庶民の遊具。ホッピングやフラフープなどの輸入玩具も昭和の子供に流行しました。
庭にある井戸では実際に水汲みが体験できます。夏でも冷たい井戸の水は、冷蔵庫代わりに飲料や果物を冷やす役割も。
門を入って左にあるのが、受付とミニギャラリー、ミュージアムショップを兼ねた建物。
こちらでは、当時の子供の遊び道具だったセルロイド人形や、佐渡の土人形といったおもちゃを販売。実用的な物では、木口バッグは普段のお買い物やお出かけ時にちょっとした荷物を入れたり、巾着袋はポーチ代わりにカバンの中身を整理したりするのにも便利です。
また、着物をリメイクしたブラウスやもんぺ、古布をあしらったコースターなど、昭和では常識だったSDGsなアイテムもあるのでご注目を!
物資の乏しい戦時中に、手軽に作れることから日本で普及していたのが「木口バッグ」。エコバッグとして使ってはいかが?
プラスチックの普及以前に生活用品や玩具に使われていたセルロイド。現在日本唯一の職人である、平井英一さんの作品を販売。
新館の2階にある「小泉知代記念室」では、小泉家の次女・知代さんによるろうけつ染めやグラフィックデザインの作品展示を行っています。
そのほか、特別展の会場としても使われていて、取材で訪れた6月上旬には2019年に公開された映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のスケッチ・原画の展示会が開催されていました。
東京と広島、場所は違えど映画の中ですずさんたちが暮らしていたのと同じ時代に、庶民の暮らしがどのようなものだったかを感じてから、映画を見ると新しい発見があるかもしれません。
実は「昭和のくらし博物館」は、映画『この世界の片隅に』の制作にあたり、片渕須直監督が参考にした建物。全国から映画ファンの方が、聖地のように訪れています。
モデル:高野祐衣
※館内は原則撮影禁止、取材にあたっては特別な許可を得て撮影しています